Chiezaru’s diary

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私にとっての2015年


【 ハバナの夕暮れ 】- ハバナ、キューバ - Canon EOS 5D + Canon EF 24-70mm f/4L IS USM
(今年の締めは4月に撮ったこの一枚で。)

大晦日。今日で2015年はおしまい。
フォローさせていただいているブロガーの方達が日記で年を締めくくっているのを読んで、やっとああ、年末なんだなと少し実感が湧いた。

今朝は曇天。天気予報をみると元旦まで雨の心配はなさそう。
例外的に長く続いたこの冬の好天も年明け二日から崩れていく様子。

ただ寒さは着実に冬のあるべきそれになりつつある。
昨日あたりから出勤するとき家を出たら鼻がツーンと痛くなった。

気持ち的には淡々と過ごして来た気のする一年だったけれど、振り返るといろいろあった。
4月に行ったキューバ旅行はこの上ない楽しい経験だったし、10月末から11月頭の久しぶりの帰国があり、家族や親戚、友人達と密度の濃い時間を過ごすことが出来た。
11月の末に祖母がなくなり、12月始め葬儀のために再び日本に戻り、ローマに帰って来て二日目に職場のスタッフが電車に轢かれて死去するということもあった。祖母は98歳で天寿を全うし、同僚は25歳の若さで、たぶん自分が事故に遭ったと自覚する間もなく逝った。そのことについて先日の日記につけた。

東京での祖母の葬儀のあと、イタリアに帰ってくる際、成田空港でチェックインしてローマ行きの飛行機の出発ゲートで待っているとき、ポケットに入っていた小銭をかきあつめたら9百円ちょっになった。
持っていても当分使うことも出来ないし、単純に重たいし、これは使ってしまおうと、構内の売店に行ったら本雑誌の小さなコーナーがあって、たまたま最初に目を移したところに『永遠の0』の文庫本があった。
そういえばこの本、映画化もされていたなと書棚から引き抜いて値段をみたところ所持金とほぼ同額だったのでそのままレジに行った。とくに読みたいと思っていた本ではなくて、たまたま自分のもとにやってきたという感じ。いつか機会があったら読もうとそのまま忘れていた。

ローマに戻ってきてからはやることがいろいろあり、読書をするには気忙しくし過ぎていて、自宅の新しいコンピューターのセットアップがやっと終わって、一息ついたときに、うん、そろそろ何か小説が読みたいなと思った。
そういえばあの本があったなと閉まっておいた『永遠の0』を手に取ったのが日曜日。
昨日の晩読み終えた。けっこう厚い本なのに遅読な自分としてはけっこうなペースで読了したことになる。

いつものように細かい内容についての感想は端折る。
読んでいて何度か涙腺にきた。
本を読んで涙がでたのはいつ以来だっただろうか。児玉清があとがきを書いていて心が洗われる作品というように評してしていたが、確かにその表現は判る気がする。琴線に触れるものがあり静かな涙が心の一部の表面を温かく洗い流していく、そんな感覚があった。

もちろん小説とは作品であり、現実とは違う。ただ2015年、年の終わりに人の命と生き方について、今一度向かい合うことになったということに、予定的というか、運命的な巡り合わせを感じる。
自分にとって今考えておくべき一つの課題なのだろう。

潜在的に自分の中に残り、いつか先の自分に戻ってくるもの。

ひょっとすると自分の人生にとって2015年は次のステップのための大切な準備期間だったのかもしれない。
日記をつけていて今そんな風に思い至った。

今年は我ながら本当に良く走ったし(笑)