運動徒然
【 はとのいる風景 】- ペルージャ、イタリア
Canon EOS 5D + Canon EF 70-200mm f/4 L USM
(そういえばイタリア、何処に行っても晴れた噴水には鳩がいるなぁ。いや、これって世界共通なのかな、などとふとおもったり。)
今日も時間が押していてあまり日記に割く時間が無い。
今朝は快晴。朝Tシャツ一枚で外に出たら少し肌寒かった。
先週は結局二度ランニングができた。火曜日に走った時いつもの6Kmを、ゆっくり走ったのにも関わらず疲れ方が異様で途中で何度も歩こうと諦めかけたのを何とかこらえて完走した。
そのあと息を整えるために少し歩いている間も両方の太腿前側が攣りそうになるほどで、自分の身体の不可解に何なんだとちょっとびびり、筋トレは端折って軽いストレッチだけして帰宅した。翌、翌々日は筋肉痛。
それが頭の隅に引っ掛かっていてそのあと三日は運動せず。
土曜日におそるおそる再開しみてみたら、何のことはないいつも感じるのと大して差のない苦しさ。
一通り毎回やっているメニューをこなすことができた。終われば爽快感。
先週前半は周りで風邪をひいている人も多かったしひょっとしたら、風邪の初期症状だったのかもしれない。
三日間運動せずにいる間に、身体への負荷というのはそのまま精神への負荷になるなあなどと考えるともなく考えていた。
ある程度の身体的負荷というのは習慣的にかけ続けていたほうが精神的は楽なような気がする。
週三のペースで走れているとき、家に一度帰って着替えて外に出るのは行動パターンの一つとして自然にやるが、一週間遠ざかっておいて再び始めようとすると必ず迷う。元気なのに今日の自分の体調どうであるかと意味のない自己診断をしてみたり、どうせなら明日でもいいのではないかと思ってみたり、今日中に終わらせなくてはならない仕事がないかとさがしてたり、逡巡巡々。
頭が逃げをうつようになるわけだ。
そこで始めないとその葛藤が少しずつ自己嫌悪になってゆく。
でもシリアスな問題はその段階で再始動しないと本格的に怠惰になってきて、活動しないことがだんだん普通になってくる。人の性。
鈍化。
去るものは日々に疎し。
どこに自分のスタンダードを位置づけて、そして維持するのか。
時に書き付けて自戒する必要がある。