Chiezaru’s diary

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DAY 29 - リヴァー・ランズ・スルー・イットに思う妄言箇条書き


【 教会の屋根と空 】- ローマ
Olympus E-5 + Olympus Zuiko 50-200mm f/2.8-3.5 ED SWD
(アパートのバルコニーから見える教会の屋根。超望遠-400mm相当-で)

こちらに住んでいた同郷の友人が永久帰国するということで、彼女は昨日から友達と旅行に行っている。トスカーナにあるとある島へ女5人のレディース・トリップなのだそうだ。
そんなわけで自分は二日間の留守番。通常業務。

昨日ランニングを終えてシャワーを浴び、ひとりで晩御飯を作って食べたあとカメラの電池の充電などしながら、映画『リバー・ランズ・スルー・イット』(1992年、米)を鑑賞。監督ロバート・レッドフォード。

先日の岩井俊二の『四月物語』のなかで一瞬触れられていたので思い出したのと、ロバート・レッドフォードとブラッド・ピットのつながりにちょっと興味があったために再度。

20世紀初頭のアメリカの田舎、モンタナ州の美しい自然を背景にした家族の物語でストーリーにはこれといったエンターテイメント性はない。
敬虔な神父を家長に、控えめな母親のいる家の少しやんちゃな兄弟の半生と生涯。
父親の職業を除けば世間にいくらでもある家庭で、あからさまに家族愛や兄弟愛が強調されることもなく語られてゆく。

それでも観終わるとしみじみと心に残る一作で不思議だなと思った。

どうしてなのだろう。
文章にしてまとめる時間が無いので、取り留めなく思いつくところを推敲なしで箇条書きにしてみる。

  • ポール・マクリーンを演じるブラッド・ピットが出すキャラクターの味がこの作品を支えている。
  • ぱっと見では誰からも羨まれるような容姿と明るい性格のポール。人々から好かれ、傍から見れば非の打ち所のない好青年が実は内面に抱えている自己不全感と何に対して感じているのか自分でも理解できない漠然とした畏れを持ち続けている。現代人が抱えている孤独に一致するものと看做してよい不安だろう。
  • 兄弟愛に支えられつつも兄ノーマンが弟に劣等感と嫉妬を覚えているのが劇中よくわかる。でも、実は表現されないところでポールの抱える兄へのコンプレックスと閉塞的心の闇は彼を蝕み続ける。−相反性。ヒステリックな笑い。人を楽しませることで紛らわせている孤独。それでも消えない自己不全感は当初はフライフィッシングに没頭しているときには忘れられた。
  • 時が経つにつれ、社会にコミットすると苛立ちは解消できずフライフィッシングは救いとしてあまたではなくななる。自暴自棄的な解決法としてギャンブルにのめりこむ。(当時タブー視されていた)インディアンの女性を連れ歩くのもその表れだろう。自分を取り巻く社会へのささやかな抵抗。
  • ポールは孤独の恐怖に土地に縛り付けられ続ける。
  • それでも川があり没頭できるフライフィッシングあったことは救いであり続ける。彼にとってフライフィッシングは魂の行動でそれは祈りの姿にも似る。
  • 川は濃縮された時間の可視化でもある。目の前にある流れは常に現在を流れている。
  • 彼の人当たりの良い笑顔の裏で耐える孤独に誰かが救いの手を差し伸べるべきだったのだろう。
  • 日本語タイトルはどうかと思う。初めて読んだときぜんぜん意味が頭の中に浸透してこなかった。海外作品のタイトルに時々思うけれど、そのまま横文字カタカナというのは想像力が拙すぎる。公開に当たってコピーを書くプロがいたはずで、職の怠慢に値する。せめて『そして川は流れ続ける』くらいには訳せただろうに。
  • オリジナルタイトル「A River Runs Through It」はTheではなく「A」というところがいい。川はあくまでも任意の一本の川で特別な「その川」でないところに、この物語の普遍性を示唆している。つまりこれは万人のストーリーになりうるということだ。
  • 後のブラッド・ピットが『ファイトクラブ』で見せる狂気を彼の演技に見ることができる。
  • ポールは熊に襲われて死んだのではない。

などなど。以上思いついたこと。

【8月28日のメモ】
体重(朝):63.80kg
運動:OK - 30分04秒
体重(運動直後の乾燥体重):62.50kg
アルコール摂取:なし