Chiezaru’s diary

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水曜日の映画


【 ナヴォーナ広場 】- ローマ、イタリア
Olympus E-5+12-60mm f/2.8-4 ED SWD

昨日やっと床屋に行って髪を切った。
マリオさんはまだ腕の調子が悪いらしく右肩をあげるときに顔をしかめていたが、いつもと変わらない腕前でさっと仕上げてくれた。
頭もさっぱりしてそのあと夕方の街を歩いて帰宅。

大きなデモが市街中心であったためにあちこちに警官隊が配備されていて、パンテオンの近所に差し掛かったとき、いささかヒートアップしたデモの参加者の列と武装警官が逼迫した距離にいて、巻き添え喰うのも馬鹿らしくさっさと歩き去った。

体調は回復傾向。
寝る前に映画を一本観た。珍しく水曜日。
『ひまわり』(伊原題、I girasoli=ひまわり)1970年公開マルチェロ・マストロヤンニ、ソフィア・ローレン主演、ヴィットリオ・デ・シーカ監督

第二次大戦をめぐる反戦映画と知って観てみたが、自分の観点からすると内容は反戦よりも大人のラヴ・ロマンスのカテゴリーに入る。

イタリア人の気性が良く表されている秀作。
ソフィア・ローレンのナポリ弁が蓮っ葉で泥臭い感じを出していて、標準イタリア語に近いマストロヤンニとの掛け合いはリアルにごく身近にいそうなイタリア人カップルを思わせる。
ソフィア・ローレンとナポリ弁というのに少しギャップを感じたがけれど、調べてみると「幼少時はナポリ近郊のポッツオーリで貧困の中成長」したとあるので、ナポリの方言で喋るのは彼女にとっては特別なことではなかったのだろう。

しかしマストロヤンニとういう俳優はハリウッドに進出せず世界的に人気のあった唯一の男優と聞いたことがあるが、二枚目の見た目で、どことなくなよっと所在無げで、今ひとつ威厳に欠けるところ、優柔不断な感じのするソフトな声でこういうのが女性の母性本能をくすぐるのかなと思ってしまう。他に類を見ない俳優なのではないだろうか。頼りなさげな感じは同じイタリア人のマッシモ・トロイージに多少重なるものがある。

この作品では劇を作ったのはソフィア・ローレンの方でパワフルなイタリア女性を象徴的に演じていた。

作品の冒頭と結末を広大なひまわりの畑のシーンでまとめているが、これは上手い。同じひまわり畑が観始めと最後では観客のなかで違う意味合いを持っている。この演出には観終わったあとの印象を包み込んですぐにはフェイドアウトさせない効果があるように思う。


ウィキペディアより
映画『ひまわり』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B2%E3%81%BE%E3%82%8F%E3%82%8A_%28%E6%98%A0%E7%94%BB%29
ソフィア・ローレン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3
マルチェロ・マストロヤンニ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%83%8B