ドストエフスキー『貧しき人々』、小感想
【 中部イタリアのお菓子 】
Olympus E-30 + Olympus Zuiko Digital 12-60mm f/2.8-4 ED SWD
ドストエフスキー『貧しき人々』。
読み始める前は途中で飽きて頓挫して終わるかもしれないと思いきや、少しずつ、でも結構熱心に進んで土曜日の夜に読了。
終わってみると不思議な感じのする本だった。
タイトルの通り貧困に苦しみながら生きる人々の話。
初老の男と若く美しい女性との関係。
二人の手紙の交換でストーリーは進んでいく。
予想通りその愛は彼らの貧しさのため成就せず終わってしまうが、同時にその愛を支えたのが同じ貧困だったというのはやるせない。
読んでいて違和感を感じるのが、マカールという男のほうの主人公。
中年から初老の間くらいの歳であると判じられるキャラクターなのだがやたらと言い訳がましい。
ちょっと頭の切れて自己顕示欲の強い青年に良く見られる潔癖主義というか完全主義というようなものが彼の書く手紙の中には漂い続けている。
要は自己防衛の表れなのだが、それが子供っぽく感じられる。
一方、女、ワルワーラは相手を気遣いながらも現実的で、最終的にはいわゆる大人の選択をすることで物語が終わる。
マカールの子供っぽさは貧困がもたらす無教養と卑屈さなのだと理解するように勤めて読み通したが、あとがきを読んでみたらこの作品がドストエフスキーのデビュー作で、彼が25歳の時に書いたのだだとわかって、すっと胸のつっかえが取れたような気がした。
なるほど。マカールは20代の青年だったわけだ。
そう思うとストーリが切なく感じられる。
しかし最初からそれが分かっていたら、ありがちな安っぽい青春小説になっていただろう。
なるほど設定の妙。
さすがに歴史に残る大作家の第一作目だ。
してやられた。
昨晩からはまた村上春樹に戻って『ダンス・ダンス・ダンス』を。