Chiezaru’s diary

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脱原発への動きについて思う


【花と川と教会 】
Nikon F4s + AF Nikkor 35-105mm 3.5-4.5 / 35mm macro, Kodak color plus 200
Scanned with PLUSTEK OpticFilm 7600i SE

先日仕事関係のちょっとした集まりがあって、数人のイタリア人との会話中にやはり日本の状態はどうかという質問を受けた。
誰と話しても何より先に家族親戚はみんな大丈夫かとまず気遣ってくれるあたりはイタリア人の愛すべきところだと思う。
かれらの家族愛の強さを身近に感じる。

話が進み当然原発問題になる。

論客のイタリア人相手にこの話題はなかなかきつい。
(イタリア人は喋るというところと縦列駐車が上手いというところに特化して言えばと本当にブラーヴォな人々である)

何で揺れる地盤の上に原発など作るのか。
それで安全が確保できるのか。
オレには分からん。と言われればこちらとしては返す言葉が無い。
諸々の問題の前だったならそんなことは計算済みだとでもいえたのだろうが、何が起こった(起こっている)のかを少し振り返れば、日本の安全対策がいかに杜撰で甘かったものか火を見るより明らかだ。

自国内で収まる問題なら、強がりも言えよう。
が、近隣国での放射線量の増加、海への汚染物質の投棄。
日本という国が世界にそして地球にしてまった誤りは謝罪したところで許されるものではない。

そういう席にいると自分個人のせいではないのは分かっていても居心地はすこぶる悪いがそれはいま日本人がちゃんと受けなくてはならない批判だと思う。

原発を捨て、火力に戻るのかじゃあ温暖化問題や中東に大きく依存するエネルギー需要でいいのかという論ももちろん出てくるだろう。代替エネルギーでは不足なのも免れない。

でも今日の記事でスイスが脱原発へ乗り出すという記事を読んだ
「34年までに『脱原発』=新設を禁止―スイス」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110526-00000003-jij-int

スイスの原子力発電シェアは約4割と書いてある。
素晴らしい覚悟だ。そして西欧諸国の趨勢はそちらの方向に頭をもたげている。

それに対し日本は同じ原発関連の今日の記事で

「信頼回復、日本に重責 原発手放せないG8、求められる情報公開」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110526-00000093-san-pol

「菅直人首相は経済開発協力機構(OECD)での25日の演説で、『最高度の原子力安全の実現』を表明」

広島、長崎、ビキニ島をへて現在原発問題。
歴史を顧みてこれほど核の被害と恐怖を肌で感じた国は皆無だろう。

『最高度の原子力安全の実現』? 
今だに夢見事を語ってどうするのか。日本が大地震の懸念から抜けれることは永遠に無いのに。
今こそが腹を決めて真剣に新しい方向を探る機会と理解すべきではないのか。

原発推進傾向にあるアジア諸国のなかで脱原発の最初の一歩を踏み出すのは日本であるべきでは。