その功罪というもの
ニュースを読んだ。
男性、自殺を動画サイトで中継 (読売新聞 - 11月10日 12:25)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101110-OYT1T00555.htm
なるほど。
ひどい話だ。
生まれちまった以上、生きるというのは前提。
どんなに思い悩んで死のうと思っている人間でも、いきなり物を投げつけれられればよけようとするだろう。よっぽど運動神経が鈍いにしたって目を閉じるなり、動物的自己防衛の機能は作用するだろう。
要は人間、その本質、生きたいわけだ。
自殺を思う人、何故って普通の人以上に生きたいだけのこと。
普通の人以上に「良く生きたい」ということだろう。それが成就しないから、その膨大なエネルギーに堪り兼ねて、逆境に死を選ばなくてはならないということに他ならないだろう。
要は誰よりも生きたいわけだ。それも「より、良く」。
死を選ばなくてはならなかった個人的な理由があるのだろう。
1000歩譲ってそれはしょうがないとしよう。
が、何ゆえにそれを人に見せびらかす必要があったのか。
単純な名誉欲だかあまりに安直な自己顕示欲だかと理解する意外に納得の余地がない。
そこには教訓的な意味が一つも見当たらない。
反対に罪はある。というより、罪はこのあと出来上がり深まるであろう。
何ゆえにカミカゼの言葉が中東の自爆テロで使われるか。
体の良い前例が美化されてあるからだ。
自殺の生中継。
なるほどセンセーショナルだ。
新しいパラダイムの提案とでもせめてと当人が思っていたのでもないだろうが、許されない罪は悪しき前例を作ったことだ。
彼はこれで気づかせてしまったわけだ。
きっと次が出るだろう。
更にショッキングなやつが。
お次は殺人ショーの後の自殺ショー?
誰がやらないと言い切れるか。
もっとひどいことになるやも知れない。
気づかせてしまった罪は大きい。
あの世で笑う気であろうか。
あまりに独りよがりで無責任であろう。
悪。
人としてとても悲しいことだ。
悪いが同情はできない。
腹立たしいことこの上ない。