Chiezaru’s diary

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日曜日の映画補足


【 カピトリーノの狼 】- ローマ
Canon EOS 5D + Sigma EX 17-35mm f2.8-4 Aspherical HSM

(小さくて判り辛いですが、柱の上に立つ雌狼の下に成長してローマ建国の祖を争う双子、赤ん坊のロムロスとレモスがいます。)

良い映画は鑑賞後も脳みそに語りかけてくる。

昨日、仕事のあとランニングをして帰宅。
シャワーを浴びている時なってやっと、自分がいかに物語を読めていなかったか気づくことになった。(ベルナルド・ベルトルッチ監督『暗殺の森』についてです)

「エンディングにはアイデンティティを根こそぎひっくりかされるというなんとも救いのない物語。」と書いたが完全な理解不足だったのので、(自分のために)補足を入れておきたい。

エンディング。
すべてのトラウマの始まり、子供のころに射殺してしまったと思っていた男が実は生きていたのを目の当たりにする主人公。自分を苛み続けた罪の意識の元凶、トラウマが消える瞬間。解き放たれたのと同時に怒りが爆発する。疑いを持ちながらも自分の存在意義をささやかに支え続けたファシズムは一瞬にして自分をだましてそこに導きいれた否定すべき、罵倒すべきものに変化する。

いってみれば絶対的な救済がそこにあるのだが、その辺はヨーロッパ映画、大団円では終わらせない。

最後のシーン、当時はホームレスたちが住んでいたコロシアム。その一角で男を妖しい視線で見つめる主人公がいる。
罪からの開放は同時に罪悪感が禁忌していた倒錯愛への許しの萌芽を暗喩している。

作品を観て24時間以上経ってやっとそこに思い当たった。

一言で、救いのない物語と書いたのはいかに安易だったことか。

ファシズムの台頭が終わり、妻との間に子をもうけ、クリスチャンになりつつましく暮らしていた主人公はこれからどこへ向かうのか。

これは本当に救いのない物語だったのだ。

故水野晴郎氏の「いやー、映画って本当にいいものですね。」ということばが久し振りに頭をよぎった。