Chiezaru’s diary

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日常雑記


【 手紙 】
Olympus E-5 + Olympus Zuiko 50-200mm f/2.8-3.5 ED SWD

(このレンズ、かなりマクロ的な描写ができる)

昨日帰りに50-200SWDのテストを兼ねてテヴェレ川にカモメを撮りに行ったものの、夕方の光が落ちてしまって土手下は暗め。おまけにカモメがいない・・。

被写体がいないのでは話にならないので何も撮らずに帰宅。
今日でヨーロッパは夏時間も終わるし、明日から日暮れが更に一時間早くなる。
仕事帰りに鳥を撮るのはもう無理な季節になった。

昨晩大河ドラマ『風林火山』を観終わる。
DVDの最後に作り手の人々のインタヴューがあって面白かった。

役柄と演ずる人間の人柄との関係が見える。
そこに登場した中で人として一番カリスマ性を感じたのは由布姫役の柴本幸。
この人のが持っている凛としたものが、この役を得たきっかけなのだろうなと良く判る。
その次に武田信玄役市川亀治郎。役の信玄の時より素でいた方が光っているようにも見えたが。逆に人として全く魅力を感じなかったのは上杉謙信役のひと(あくまでも個人的な話です。ご了承ください。)。

前半と後半にストーリーの段差のようなものを感じたけれど、ディレクターたちが目指したように『風林火山』は直球勝負の大河ドラマだと思う。後半は特に「時代劇」という雰囲気が強い。これに関してはキャストの人々が口にする、自分が「お芝居」をしているのだという意識の強まりと、競演していた歌舞伎役者の持つ影響力が大きいのではないかと推測する。正直なところ、市川亀治郎の表情の演技や、主役内野聖陽の喋り方など、時折あまりにも歌舞伎口上的で、テレビドラマとして見ている観客としてちょっと冷さめてしまったところもある。

舞台的な演技。(方向性は違うがイタリア人俳優が映画に出ていると、ときどきこういう雰囲気が出る。ちょっとアクセントをつけ過ぎというか、そんな感じ)。

ともかく『風林火山』は観ている者に力強さを感じさせるドラマで、秀作であったことは間違いないのではないだろうか。

そういえば良い役者で、でも役を演じている時以上のカリスマ性が迸っている人というとジョニー・デップをいつも思い出す。テリー・ギリアム監督の不遇の作品『ロスト・イン・ラ・マンチャ』だったと思うが、作品中にジョニー・デップのインタヴューがあってカメラ越しに彼の引力がこちらまで伝わってくるのびっくりした。
あれ以来、いつか一度この目で見てみたい人になっている。

話は変わるけれど「ドン・キホーテ」の物語は呪われたストーリーで、今だ実写が実現していない映画なのだとか。撮影クルーは必ず予期せぬ問題に遭い作品は完成しない。
『ロスト・イン・ラ・マンチャ』の中で言ってたのな。ずいぶん前に観たし、よく覚えていない。