Chiezaru’s diary

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冬の足音は人によって聞こえ方が違う


【 冬の味覚プンタレッレ 】
Olympus PEN E-PM1 + Panasonic lumix 20mm f1.7

昨日の日曜日は朝のうち気持ちの良い晴れで、そのあと風が出始めその勢いがかなり強くなったなと思った途端に空に暗雲が立ち込めて、昼を過ぎるくらいから豪雨になった。あれだけの雨量が一日続くのも珍しい。自宅でまったりするには悪くないが。
どうもイタリア全土的な悪天候だったようで、ヴェネツィアでは市内の70%が冠水したらしい。サン・マルコ広場で泳いでいるツーリストの写真の載った記事を見つけた。これにはちょっと驚いた。

予報を見ると今日から天気は回復傾向。
気温もそれほど下がっておらず、日中なら長袖T-シャツで良いくらい。

ところで季節の変わり目というのは人によって察知の仕方が違うんだなと思ったこと。
自分的には朝、家を出た時の空気の感触だったり、ランニングをしているときに見る公園の景色の変化だったり、日照時間の長さだったり、比較的皮膚に訴えてくる変化を通して季節の移ろいを捉えている傾向がある。
その基準でゆくと、多少寒くなったにしても個人的には今年はまだ決定的に「冬の訪れ」を体感していない。

彼女のほうは少し観点が違う。もちろん気温が下がってくれば当然冬が近づいているというのはごく普通に感じている。が、季節の変わり目に出てくる一連の発言をつらつらと思い起こしてみると、前回のノヴェッロ・ワインの時のように、スーパーの棚に並んでいるものから、「何々が出だしたから、そろそろこの季節ね。」という認識が強いのが面白い。

昨日も遅めのブランチをしようと二人でキッチンに立っているとき八百屋で買ってきてくれたプンタレッレ(写真)が冷蔵庫から登場(紙袋の上にさらにビニール袋が被さって野菜室に隠されていたから、その時まであるのに気がつかなかった。)してきて、「もうこれが出てきたから冬ね」というようなコメントがある。
それも一束で60セント(60円強)だったらしい。

なるほどと感心する。
プンタレッレといえばローマの冬の味覚。これがこの安さで市場に出だしたということは、旬の到来、つまり季節は冬。確かにそうだ。

味覚とお財布具合から察知する季節の変わり目というのは、ある意味で肌で主観的に感じるそれより実は敏感なのかもしれないと思った次第。

追記:プンタレッレのレシピの一つは以前書いたこちらの日記で↓
「サンデー・クッキング」