Chiezaru’s diary

字を書くときはChiezaruで写真を撮るときはMeta_Monkey

日常雑記


【 サン・ピエトロ寺院 】- ヴァチカン市国
Olympus E-5 + Olympus Zuiko Digital 12-60mm f/2.8-4 ED SWD

(ストックから。サン・ピエトロ寺院キューポラの内側のドーム。)

今朝は雨。
明け方、雨戸の向こうの激しい雨と雷の音で目が覚めた。レム睡眠の移ろいのなかで、ヴェランダの外側に干した洗濯物はもうずぶ濡れだろうなと思いながらしばし。ベッドから起き上がる。

身支度をして家を出てメトロの駅まで歩くほんの一、二分の間、分厚い雲でまだ暗さの残る道で閃光が三度。光るたびに周りが青白く照らされた。

オフィスについてみると雨脚は弱くなっている。
でも今日は一日ぐずつきそう。

昨日の夕方、週二度目のランニングができた。
朝起き抜けでフルーツ、オフィスで小さめのコルネット(クロワッサン)、昼食にはハムとルッコラを食べただけだったので炭水化物不足だったようで、途中でガス欠状態に。

いつもなら身体が温まってリズムができてくる3km目あたりからペースがどんどん落ちていった。こうなると記録がどうのといっていられる余裕も無く、何とか完走を目指すのみが目標になる。あと半分。きつい残りの3km。

猫背になり顎が上がる。
上体で引っ張るように鈍く足を運ぶ。視線が落ち、すぐ目の前の道面を追うようになる。かいている汗が冷たく感じる。
心臓のほうはバクバク喘いでいて肺は空気を欲しがっている。
ハートモニターを見ると心拍は170超。

やっとという感じでゴールした。

それにしてもほんの短い間の苦しみなのに、その只中にいると、時間が凝縮される。時間が濃縮されると感覚は濃厚になる。
そこに永遠を垣間見てしまう。ずっと続く苦しみ。一瞬が永遠とつながってしまう瞬間。人が苦痛に耐えられなくなるのは本当は身体よりも、そのイメージに取り憑かれてしまうからなのではないか。

精神が先に耐えられなくなるのではないか。

重い身体を引き摺って走っているときにそんな風に考えることがある。