Chiezaru’s diary

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徒然雑言


【 透翼光 】- ヴァチカン博物館
Canon EOS 5D + Canon EF 70-200mm f/4 L USM

(光が通るほどの薄さで彫られている。驚きの技術。)

今日は休日。といってもローマだけ。これについては去年も同じことを書いたので端折ることにする。
自分は仕事。

小学校のころは結構熱いサッカー少年だった。
中学に入っても続けたかったのだが、その中学にはサッカー部がなかった。
それでもあきらめきれずに署名を集めて職員室に持っていった。
結局だめで陸上部に入った。
ちなみにサッカー部はその翌年に作られた。
結局中学は陸上部で三年過ごした。

サッカーは大好きだった。

でも人生のいつの時点だっただろうか団体競技のスポーツに興味を持たなくなった。

個人ですること。走ったり、泳いだり、空手を習ったりするほうが好きだ。

団体競技を見ているとき時々感じる観客の団体の心理に戸惑いと恐れを感じことがある。ファシズムにつながるようなものを。

もちろん感動を分かち合うという意味ではよいことなのだろう、でもそれはあくまでも「ゲーム」なのだということがわかっていない人々が集まって大騒ぎをすることのほうにより恐怖を感じてしまう。

熱烈な野球(でもなんでもいいけれど)ファンが自分のひいきにしているチーム負けた負けたあと機嫌悪くなるなんていうのも、目の前でされるとこちらも居心地が悪い。

昨晩イタリア、ドイツ戦があったらしいが、TVを見ていなくても外の騒ぎでイタリアが点を取った時にはわかる。あちこちから歓声があがり、ラッパを吹いて、わけのわからない怒鳴り声があり、そのうえ爆竹(イタリアのそれは巨大ですごい音がする。違法ななずなんだけど・・)を鳴らす。喜びの表現で特に迷惑でもないのでそれはそれでよいことなのだと思う(爆竹はちょっとどうかと思うけれど)。

でもやっぱり個人スポーツのほうが好きだ。
格闘技でもテニスでも水泳でも体操でもスケートでも良いけれど、個人競技で観客が二つに分かれて大喧嘩というのはあまり聞いたことがない。格闘技ではあるのかな。

でも団体競技のスポーツ自体を毛嫌いしているわけではない。
選手のプレー自体を見ることは嫌いじゃない。
トッププレーヤーの動きというはどんな競技であっても美しく、感動する要素を含んでいる。そういうのを眺めているのはどちらかといえば好きだ。
ただ自発的にそれを見に行く気にはどうしてもなれない。本を読んだり、映画を観るほうを優先させてしまう。

それがポジティヴなものでありネガティヴなものであり、人の大きな感情の動きを目の当たりするのがちょっと苦手。ひりひりする。たぶんそれが根本的な理由なんだと思う。