Chiezaru’s diary

字を書くときはChiezaruで写真を撮るときはMeta_Monkey

びっくりした


【 クリスマスのヴェネツィア広場から 】- ローマ
Olympus E-5 + Olympus Zuiko 50-200mm f/2.8-3.5 ED SWD

(ヴェネツィア広場からコルソ通りを撮ったもの。イタリア統一150周年で通りの電飾が国旗のカラーになっているのは今年のスペシャル。 )

プロサックス奏者のUkoさん。
去年ヨーロッパ放浪の旅をしていて、ウチのホステルに泊っていた時にひょんなことから知り合いになって、ローマのストリートで吹く時の写真を撮らせてもらって以来たまに連絡を取り合っている。

一昨日日本から宅急便が着いて、誰からかと思えばUkoさんから。
なんと彼女の最新アルバムのCDをわざわざ送ってくれた。
ありがたいことにまだ読んでいない村上春樹の本数冊と、時節柄年越しそばなど嬉しいおまけつきで。
その日は忙しく時間がなかったのでCDはパッケージから出さず、お礼のメールだけを送った。

昨日。出勤してから体調が崩れだして、吐き気が始まりそれから筋肉がぎしぎしいいだした。翌日(今日)からは同僚のサミュエル君が休暇で実家のマンチェスターに帰るのでオフィスに一人になる。休むわけには行かないこともあって、大事をとって早退して養生することに。

2時前に家についてとりあえず昼ごはんの準備に鍋でお湯を沸かしているときにCDを開けてみる。と、ジャケット内側になんとあの時撮った自分の写真が。
クレジットには写真撮影者の一人として自分の使っているハンドルネームまで載っている。

びっくり。

CDを聞きながら昼ごはんを食べる。
以前ストリートで演奏を聴いたときもそうだったけれど、気持ちのこもった肌理の細かい音を奏でる。そういうことは音楽に関してはまったくの門外漢の自分にも判る。
作曲もやっていて日本の懐かい憧憬というか、優しい旋律があって、それがサックスの音にのっている。これは彼女特有のものだなぁなどと素人なりに思う。

悲しさを表現している曲の中に、なんというか雲間が急に割けて青空がのぞき、それまで降っていた雨に濡れた紫陽花の緑の葉の上にさっと太陽の光が差すような、そんなポジティヴさを感じる。

彼女だったらきっと、ちょっと埃っぽい太陽の匂いのする暖かい布団に包まったときのような曲とか、子供の頃夏の夕暮れ時に、暗くなってきてちょっと不安になって、まだ遊びたいけれど、後ろ髪引かれる感じで友達と自転車に乗って家にむかう時の気持ちのような曲とか、そういうものができるんじゃないかなと思ったりする。そういう風に聴き手の空想力を稼動させてくれるアーティストは少ない。

一緒に送ってくれた村上春樹の「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」を読みながら聴いていた。(残念ながらウィスキーは無しで)

そのあとベッドで午睡。
仕事が終わって帰ってきた彼女がおでんを作ってくれて、起こしに来てくれる。それを一緒に食べる。心身ともに滋養のある食べ物。すっかり温まって、昨日はなんだかすごく日本的に癒されてしまった。

近年流行っていて、人々がやたらとを求めている「癒し」という言葉をあまり肯定的に受止めてはいないが −そもそも癒しというものは恒久的に求めるべきのものじゃない。そんなに癒されたがってどうするんだという思いがある。「癒される」。受身的過ぎる。病んでいるなら、そこで一番大切なのは「治ろう」とする主体的な意思だと思う。− それでもたまにこういうのがあってもいいかなと思えた。

贅沢な時間。

Ukoさんとわが彼女に感謝。
ちなみにUkoさんのオフィシャルサイトはこちら
http://www.saxy-uko.com