Chiezaru’s diary

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距離のつなぐ関係、2011年再会 - 番外編1


【 紅い花緒 】
Olympus E-30 + Olympus Zuiko Digital 12-60mm f/2.8-4 ED SWD

今年で四十路に入る。
そんなわけで2011年は少し意識して旧い交友を温め、今までの自分の歩んできた足跡を再確認する年にしたい。
きっとそれは次の10年を生きるの支えになってくれるものだと思うから。

今年旧い友と久しぶりに会うのは、どうも自分だけではなくて、彼女の方も同じ傾向らしい。なのでこちらは番外編で日記に記すことにする。

昨日会ったのは彼女の旧友。日本から中学生の娘さんと、その旧友の旧友でイスラエルに住んでいる女性と晩御飯を同席した。
イタリアらしいものということで、行きつけのトマジーノのレストランへ。

水牛の乳で作ったモッツァレッラチーズからローマ風アンティチョーク、スパゲッティ・カルボナーラ、アマトリチャーナ等々、ローマならではの料理を楽しんでもらった。

女性四人相手で最初はどうなることかと思ったが、ワインの助けもあり、リラックスできた楽しい晩餐になったし、当然ながら彼女も嬉しかった様子。
良かった。

良い友というものは10年ぶりに会おうが15年ぶりに会おうがたいした違いは無い。一度会ってしまえば昨日最後に会ったの大して変らない。すっと当時の感じに戻ってしまうものだ。
そういう友人達に会うにつけ自分の生き方が間違っていなかったのだと勇気付けられる。
気の置けない友。かけがえのないものだと思う。

大分便利になったとはいえ、簡単には帰国できない。
思い入れのある人と場所、自分の居場所が離れるほどに思いは深くなる。
距離、正確には「距離感」がより強く取り持ってくれるつながりがある。

「ふるさとは遠きにありて思ふもの」と詠った室生犀星の一文が思い起こされる。
この詩の続きはちょっと悲壮感に満ち過ぎていて自分の感覚とはマッチしないのだが、それでもこの冒頭の喚起するものは象徴的だ。
それはやはり距離感とそれが織り成す想い、自分の根本への回帰。それに対する強い願いに違いない。

室生犀星は金沢の人。
自分を除けば昨日の席のひとびとは期せずして皆、金沢の人であった。

ふるさとは遠きにありて思ふもの・・