Chiezaru’s diary

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ニュースの記事から考えること


【 キューバのネコ 】- ヴァラデーロ、キューバ - Sony RX1R
(ヴァラデーロのリゾートに住んでいる猫たち。ある意味でむちゃくちゃリッチなネコたちではある。)

「頭を体から切り離し他人と結合」難病男性が手術へ
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20150626-00000062-jnn-int

イタリア人医師が提唱している自分の頭部と脳死状態となったドナーの身体を結合する手術。
この前読んだ、嘘?みたいな記事が本当になりそうな様子。ちょっと信じられない。

この人は一体誰になるのだろう?頭は本人でも身体の大部分は別の人。
たぶん頭部を占める人格が論理的アイディンティティを持っているから、頭の方の人になるのだろうけど、指紋ほか、すべての器官はドナーのひとのそれ。DNA的にはどうなるのだろうか。
成功したら将来いろいろ課題を残しそうな手術だと思う。
普通に行われる時代が来れば、その先の犯罪史がものすごく面倒な事になりそうな予感。

つらつら考えていくと、ボディー側の人の所有権や親権、負債責任、その他いくらでも考えられる要素はどうなるのか。一番面倒になりそうなのは犯罪歴があった場合。パスポートや個人の確認などどうなるのだろう。カヴァーする制度ができるまでものすご時間がかかりそう。ちょっとしたSFになってしまう気がする。

視点をかえて。

手術が成功して、仮にその人がオリンピックの100m走で世界記録を出したとしたら?とか。記録は認められるのだろうか?でも誰に記録がつつくのか?両方だとしたらそれは一人で競技したことにならないという見解もありそうだし。一歩間違ったら、記録のために金にモノをいわせてわざわざこの「フュージョン」をやるアスリートが出てくるかもしれないし、若い身体を取り戻す目的の老富豪なども出てきてもおかしくない。いろいろ空想してしまう。

手術を待つ患者やその家族立場なったらそんな悠長かことを云っていられないだろう。
もし自分が当事者だったらどうなんだ、という意見もあるだろう。
それも、もっともな考え方かと思う。

ただ臓器移植と違って、身体全体の話となると、(特に今回のようにメディアで大きく取り上げられてしまうと)いくら匿名にしてもドナー側の家族、たとえば母親は誰に自分の息子の身体が移植(という言葉がすでにしっくりと来ない。このケースでは)されたのかというのが分かってしまうだろう。
手術前には誓約書にサインするのだろうけれど、ひとたび息子の身体が再び立ち上がって活動はじめたのを見た親がひとごととしてそれを傍観できるものなのだろうか。
脳死状態の彼に、まだ寄り添う恋人がいた場合はどうだろう。

やはりさまざまな意味で複雑な課題を生むオペレーションなのには間違いないかと思う。

妙に想像力を刺激された記事だったので備忘録的に自分が何を考えたのかメモしてみた次第。

キューバの猫たち。あと数枚↓

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おまけ↓

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ホテルの敷地内の池にサメがいるのにはたまげた。