Chiezaru’s diary

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日曜日の映画


【 薄い家 】
Canon EOS 5D + Canon EF 70-200mm f/4 L USM

(どういう用途なのか、あんなに薄くては住みずらそう。ヴェネツィアより。)

昨日の日曜日はのんびりと、久しぶりに映画を一本。
三島由紀夫の人生を伝記的に同氏の作品とシンクロさせながら描いた映画『ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ(Mishima: A Life in Four Chapters)』監督ポール・シュレイダー、主演は緒形拳、三島由紀夫役。1985年米公開
ウィキペディアを引くと
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%83%9E:%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%97%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BA
1985年にアメリカ合衆国などで公開されたが、三島夫人の抗議等の諸事情で現在も日本では未公開、「幻の作品」となっているとある。

誇大妄想といえなくもない自己の世界観に生きた三島由紀夫という男をたくみに表現した秀作。
三島という人を知らない世代からすると、彼の略年を読み、さらにこの映画を観るとずいぶん印象が変わるのではないだろうか。
先日、この人について『キャプテン・アメリカ』の日本版悲劇ヴァージョンみたいだなと、書いたけれど、そういう受け止め方はそれほど大それていないのかもしれないという気になる。

御幣があるかもしれないが、彼の作品を読んで作家の人となりを想像するとき太宰治と少し重なる。同時に三島由紀夫の人物像は異様にイメージがカラヴァッジョと交錯する。

本名、平岡 公威という人間が芸術家、三島由紀夫として生きた結果だったのだろうか。