フェリーニはやはり難解−DAY 12
【 聖天使城 】- イタリア、ローマ
Canon EOS 5D + Canon EF 70-200mm f/4 L USM
ずっと観たいと思っていて保留になっていたフェデリコ・フェリーニの『サテリコン』を昨晩鑑賞。1969年製作・公開。伊仏合作映画。
古代ローマ人たちの退廃生活をフェリーニの視点(フェリーニ・フィルターと勝手に呼んでいる)を通して描いた作品。
ウィキペディアを引くと「ペトロニウスの著した紀元1世紀ころの文学『サテュリコン』を、フェデリコ・フェリーニが映画化した作品である」とある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%86%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%B3_%28%E6%98%A0%E7%94%BB%29
やはりフェリーニ。難解極まりない。
ストーリーに一貫性がなく理解不能。完全にこちらの想像力の範疇を超えている。
分かったのはゲイの主人公がストレートな性向に戻ることを目指したアニミズム的男根回帰願望が底になっている物語であるということくらいか。そのベースにしても最初からそれをテーマに描こうと思って作っているとは思えないところがまたフェリーニだ。
描かれる贅の極みを尽くした貴族の宴のシーンは例のごとく圧巻で、アクの強い舞台装飾とキャスティングで、その頽廃ぶりと、一線を越えてしまったグロテスクさを伝えてくる。快楽の追求の限度を越えたところにあるものは天国ではなくて、地獄に近いのかもしれないなどと考えさせられる。
しかし、凡人からみるとあのハチャメチャなストーリー展開で2時間の映画を一本まとめてしまう所は鬼才という言葉しか浮かんでこない。
受け手、つまり観客の仕事は鑑賞することだが、こちら頭をフル回転させながらそれでも理解が出来ないものを創り出してしまう独善的とさえ言えそうな作り手はこの先もう出てこないのではないだろうか。
フェリーニしても人に理解されようとおもって作っていないようにも思えるが、分からないなりに最後までしっかりと見せてしまうパワーはやはり表現力の賜物なののだろう。
表現のためには体裁も常識も一切関係なし、この監督の映像には妥協というものが全くなく執念すら感じる。
観る方にもパワーが必要。
フェリーニを観るとかすかな敗北感が残ることがある。
手ごわい。
8月のデトックス兼、在宅個人夏合宿は本日で12日目。
今日走れば今週も四回達成。順調に消化中。
8月11日の状況メモ:
朝起きぬけの体重:65.00kg
ランニング直後の乾燥体重:63.40kg
ランニングタイム:27分17秒
飲酒なし