Chiezaru’s diary

字を書くときはChiezaruで写真を撮るときはMeta_Monkey

kthykさんのブログを読んで


【 イタリア統一150周年記念、ヴィットーリオ・エマニュエール2世記念碑 】- イタリア、ローマ
Nikon F4s + AF Nikkor 35-105mm 3.5-4.5 / 35mm macro, ISO200

Tiwtterやブログでフォローしているkthykことleporelloさんのブログを読んで思ったこと。

kthyk's posterous
「宙吊りの時間」
http://kthyk.posterous.com/46580224

Facebookにもリンクしてあったからそちらに感想を書いたのだが、彼の文章を読み、返事を書く段になりふと悟ったこと。

備忘録としてコピーを貼っておこうと思う。
いつか自分で読み返すが日が来るだろうと思った自らが綴った思い。

「深い肯きと共に読みました。常に自問していたことがあって、それは母国の有事の際僕はどうするだろうかということです。
こちらに住み既に丸13年が経っています。
私の生活の基盤は今となっては完全にこちらにあるので実際のところそれを今実行することはないのですが、今ほど日本に帰りたいという気持ちを自分の中に強く感じたことはありません。

実際に帰らないのは、日本は大丈夫だと思えるからかもしれませんし、運良く自分の家族親戚、友人は皆無事であってくれたこともあるかもしれません。
...つまるところ自分可愛さのためだと言われればそれを否定することも出来ません。

メランコニーについても、そうですね。
深い無力感と歯がゆさ。でもその感情のなすがままに自分を放っておくことはあまりに救いがなく、孤独です。
みんな感じていることなのではないでしょうか。
だからこそ、動かなくてはならない。そして繋がりあわなくてはいけない。
助けるほうも、支援活動をに参加することで救われているのだと思えてなりません。

イタリアにいる日本の同胞も様々な支援活動をしています。私も微力ながらやれることを実行しています。
みんなの祈りを込めた行動です。」

そう。自己救済なんだ。
偽善と言われて繕う必要すらない。