Chiezaru’s diary

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Day 29 - 徒然雑記


【 サンタ・クローチェ・イン・ジェルサレンメ聖堂 】- ローマ
Olympus PEN E-PM1 + M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8

昨日も午後に一旦けっこうな量のにわか雨が降った。
が、すぐに止み青空がもどった。

夕方のランニングをするのには支障なし。逆に涼しくなって運動にはうってつけの気温に下がった。

一昨日を休筋日に当てて疲れもとれたせいか、やっと(6キロで)30分を切る記録が出せた。29分49秒。今期のベスト。先日の雨は恵みの雨だったとも言える。

去年の記録を見ているとこの時期には29分台前半で走っていたのでまだ追いついていない。

でも昨日は走っていて、やっと去年の自分の背中が見えたような感触を持つことができた。

8月も終盤。明日は最後の休筋日に当てるつもりなので、今日と明後日、二度走ったら目的達成。天気予報も今日から三日は雨マークなし。

ゴールまであと少し。

ここ数日でDVDの映画を二本ほど鑑賞。
一本は先日小説を読んだ『素数たちの孤独』の映画版、監督サヴェリオ・コスタンツォ(2010年、伊独仏)。
ストーリー展開、エンディングまでオリジナルとはけっこう違う。

簡潔に思ったことなど。
原作にあるいくつかの大切なエレメントが落ちてしまうのは映画化された小説の宿命なのだろう、仕方のないとところもあるが、省くことで原作を読んでいない観客に伝わらないだろうなという箇所があるのは残念。

そのかわりシーンの切り替えどころを踏まえているというか、カットの挿入の順序とタイミングはについては映画のほうが巧いなと思った。

最後にこの作品にタイトルの「素数たちの孤独」をつける必然性がなくなってしまっているのは首をひねった。(原作のほうもこの必然性は弱かったような気はするが。ひょっとすると、作者のなかではじめに題ありきで書かれた作品なのかもしれない。)

2本目はアッバス・キアロスタミ監督の『ライク・サムワン・イン・ラブ』(2012年、日仏)。
この人の作品を観るのは前作『トスカーナの贋作』以来だがいまひとつコンセプトがわからない。
どうして物語がそのように運ばれていってしまうのか難解。
コメディーとして捕らえればいいのかもしれないが、それも違う気がする。
人の実生活におけるある種の真実のエッセンスが織り込まれているというか、100%自分から切り離してみることがもできない。

『ライク・サムワン・イン・ラブ』のエンディングは正直「ほぇっ?」となるくらい拍子抜けで、こういう終わらせかたってあり?という感じだった。

ヒロインを演じた役者の選び方はいいなと思った。知り合いにいそうなちょっと美形だけど普通な顔立ちなのに、表情の印象がシーンによって変わって観ていて飽きなかった。
日本人のキャスト選びに限定すると、岩井俊二の次に役者の顔の選び方が巧い監督かもしれない。

自分が観たこの二本からすると、この監督がやろうとしているのは日常に約束されているアンチドラマな安住の地、安心や安定感というものを観客に対して差し伸べておいて差し伸べ、ほっとさせておいて、おいていきなりそれを払底させて驚かせようという試みのような気がする。

突然現れる困惑のなかで、観る人たちは、いかに些細な行き違いで日常の当たり前が、簡単にその地位から引き摺り下ろされてしまうのかに気づかされるのかもしれない。

8月28日の状況メモ:
朝起きぬけの体重:64.40kg
ランニング直後の乾燥体重:63.60kg
ランニングタイム:29分49秒
飲酒なし

8月28日のアクティヴィティ↓